050 市民大会が出発点です。
市民大会
高校一年生の冬、私達は、初めて大会に臨みました。
高校一年生の秋の新人戦が、デビュー戦になるのが、普通だと思うのですが、私達は秋の大会に間に合わず、出場していませんでした。
こんな不文律があったのです。当時の私達は、それが当たり前と思っていました。今振り返ると、高校アーチェリー部で、多分、日本中で我々しかいなかったのではないか、とさえ思います。それは……
親の金は遣わない
私達は、アーチェリーをするために、アーチェリーの練習時間を削って、バイトし、貯めたお金でアーチェリーを買いました。
新聞配達、ビル清掃、ハンバーガー屋さん、宅配便(サンタさん役)、引っ越し手伝い……
私は、朝六時半から授業の開始まで練習し、放課後の練習後は、大急ぎでバイトへ。 日曜日は(当時、土曜日は学校があった)、朝五時半から十三時までバイトして、すぐに練習へ。
私に限らず、部員全員が、自主的にそうでした。夏休みは、バイトに明け暮れます。
よって、自分のアーチェリーを手に入れるのは、夏休み明けなのです。
そうして初めて出場したのが、市民大会だったのです。その結果…
高校男子の部 五位入賞
結果が出た瞬間、興奮しながら走ってきた先輩と抱き合って喜びを爆発させました。
その後、運良く賞状やトロフィーを貰うこともありましたが、この日の入賞の歓びを越えるものはありません。
間違いなく、現在に至る私のアーチェリー人生で、最高の歓びの瞬間でした。
それまで(高校一年生)の人生の中で一番感動しました。
今でもよく覚えています。
インドア60射で、400点にも満たないものでしたが、そんなことは関係ありません。次への巨大な意欲へとつながったのですから。
この日が、私の出発点となりました。
あれからちょうど30年経った今回、あの日と同じ市民大会に出場したのです。
一般男子 Bクラス 優勝
(オールクラスでも二位)
あの日と同じく、点数は大したことはありませんが、そんなことはどうでもいいのです。
怪我と病で弓を握ることができない日々が、あまりにも多くありました。仕事が忙しく、時間が取れず、思うように練習できない日々が多くありました。
そんな中、遂に大会で60射最後まで射ち切り、賞状を戴くことが出来たのです。
本当に嬉しかったです。
意外だったのは……
家族に褒められて、嬉しかったです。
まさか、そんな甘ったれた感情が私にあるとは思いませんでした。
この日を再びの出発点にしました。